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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2680号 判決

控訴人

前田貞司

被控訴人

笠井七重

右訴訟代理人

佐野栄三郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は適式の呼出を受けたにもかかわらず当審口頭弁論期日に出頭しないので、その提出にかかる控訴状を陳述したものと看做した。それによれば、控訴の趣旨は、「1 原判決を取消す。2 被控訴人の請求を棄却する。3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求めるというにある。被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。

1  原判決二枚目表一行目「本物件は、」の次に「昭和五四年一〇月一六日」を加える。

2  被控訴人の主張

被控訴人は、原判決添付別紙物件目録記載の建物(本物件)について所有権移転登記を経由していないが、控訴人は背信的悪意者であるから、被控訴人に対し登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有せず、被控訴人は、登記を経由していなくとも、本物件の取得を控訴人に対抗することができる。

被控訴人は、昭和一五年五月二五日笠井百三と婚姻し、昭和五四年一〇月一六日同人と協議離婚したが、右協議離婚に際し同人から東京都調布市深大寺三四〇三番九五宅地九三・七一平方メートル及び同地上に存する本物件を贈与され、右土地については所有権移転登記を経由したが、本物件は、未登記で当時訴外佐々木某に賃貸中であり、返還を受けたのちは取り壊すつもりでいたので、被控訴人名義で所有権保存登記手続をすることはしなかつた。ところが、百三は昭和五五年三月末に突如東京法務局調布出張所に対し本物件につき自己名義の所有権保存登記申請をするに至つたため、被控訴人も直ちに同法務局に対し被控訴人名義の所有権保存登記申請をし、所有権保存登記申請を競合させることにより百三名義の所有権保存登記がされるのを一時回避することができた。その後百三は被控訴人らを被告として東京地方裁判所八王子支部に対し本物件を含む財産の贈与契約が無効であることを前提に所有権確認等を求める訴を提起し、同事件は現在に至るも係属中であるため、被控訴人としては、右事件の帰趨が決まることにより本物件についての登記の問題も自ずから解決するものと考えていた。

しかるに、控訴人は、昭和五〇年三月一〇日百三に対し五〇〇万円を貸付けたとし、昭和五七年五月二四日その旨及び執行受諾文言を記載した債務弁済契約公正証書の作成を嘱託し、これを債務名義として東京裁判所八王子支部に対し本物件につき強制競売の申立をし、同裁判所は昭和五七年七月一五日強制競売開始決定をし、東京法務局調布出張所は同日同裁判所の嘱託に基づき本物件につき職権で百三名義の所有権保存登記をしたうえ、控訴人を債権者とする差押の登記をした。

ところで、控訴人と百三との間の本件消費貸借契約が締結されたのは昭和五〇年三月一〇日というのであり、当時は百三と被控訴人とは婚姻中であつたのであるから、本物件を含む百三名義の不動産に担保権を設定することもできたにもかかわらずその手続をせず、昭和五七年五月に至つて初めて前記公正証書を作成したうえ本件強制執行に及んだものであつて、右事実に右公正証書の作成に百三の協力が絶対に必要であることを併せ考えると、控訴人は百三と通謀して、既に被控訴人に贈与されているのにたまたま未登記のままであつた本物件につき百三名義の保存登記を経由するため本件強制執行に及んだものといわざるをえず、仮にそうでないとしても、控訴人が本物件を百三の所有に属すると考えたことについては重大な過失があつたというべきであるから、右事実関係の下においては、控訴人は背信的悪意者として、被控訴人に対し登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有せず、被控訴人は、登記を経由していなくとも、本物件の取得を控訴人に対抗することができるものといわなければならない。

3  証拠<省略>

理由

一控訴人が百三に対する本件債務名義に基づき昭和五七年七月一五日本物件について強制競売を申し立てたことは当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すれば、本物件は、もと百三の所有に属していたところ、昭和五四年一〇月一六日被控訴人が百三との離婚に際して同人から贈与を受けその所有権を取得したものであることが認められ、<証拠判断略>、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三弁論の全趣旨によれば、控訴人は黙示的に被控訴人の本物件に対する所有権取得に関し対抗要件の欠缺を主張しているものと解されるので、控訴人がいわゆる背信的悪意者に該当するかどうかの点につき判断する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、昭和一五年二月一八日百三と結婚式を挙げ、同年五月二五日婚姻の届出をし、同人との間で昭和一七年八月一五日長女百合子、昭和二二年六月二四日二女伊都美、昭和二五年一二月二〇日三女雪美をもうけた。百三は、被控訴人と婚姻後水力発電関係の仕事をしていたが、浮気が絶えず、昭和四七年ごろから家を出て被控訴人と別居し、訴外加藤よし子と同棲し、昭和四九年二月二四日加藤よし子との間に長女佐知奈をもうけ、昭和五四年九月ごろ、同女の小学校入学が迫つたので、よし子と正式に婚姻するため被控訴人に強く離婚を求めた。被控訴人は離婚することに気がすすまなかつたが、三人の娘と相談したうえ、やむなく、(1) 当時被控訴人が居住していた後記(2)の建物の敷地である東京都調布市深大寺町三四〇三番三三宅地一七四・〇四平方メートル(百三の単独所有に属し、同人名義で登記されていた。)、(2) (1)の土地上にあり当時被控訴人が居住していた同町三四〇三番地三三所在 家屋番号三四〇三番地三三木造瓦葺二階建居宅 一階七二・八七平方メートル、二階六四・五九平方メートル(百三、被控訴人の長女百合子及び百合子の夫の米川忠夫の持分三分の一宛の共有に属し、その旨の登記がされていた。)、(3) (1)の土地の隣地である同町三四〇三番九五宅地九三・七一平方メートル(百三の単独所有に属し、同人名義で登記されていた。)、(4) (3)の土地上にあり他に賃貸中であつた本物件(百三の単独所有に属し、未登記であつた。)をそれぞれ百三から贈与を受ける(但し、(2)の建物については百三の三分の一の共有持分につき贈与を受ける)条件で離婚に同意する旨を告げたところ、百三は、右条件を承諾し、昭和五四年一〇月一六日右(1)、(3)、(4)の土地、建物の所有権及び(2)の建物の三分の一の共有持分権を被控訴人に贈与し、百三と被控訴人は同日協議離婚の届出をした。なお、本物件は、被控訴人と百三の長女百合子夫婦が居住するために昭和四二年一二月ごろ建てられたもので、建築費用一〇六万円中五四万円を百三が、五二万円を百合子の夫米川忠夫が出捐したのであり、百三の所有としたのは、同人が一家の中心で、その敷地の所有者であるというだけの事情によるものであつた。

被控訴人は、昭和五四年一〇月一六日前記贈与を原因として、(1)、(3)の土地につき所有権移転登記、(2)の建物につき百三の持分全部の移転登記を経由したが、本物件については、未登記であつたため、登記手続をしなかつた。

百三は、これを奇貨として、昭和五五年三月一二日過ぎごろ東京法務局調布出張所に対し本物件につき自己名義の所有権保存登記の申請をし、右事実を知つた被控訴人も同法務局に対し本物件につき被控訴人名義の所有権保存登記の申請をし、申請を競合させることにより百三名義の所有権保存登記が経由されるのを防止した。被控訴人は百三が別居したのち少しも送金がないので百合子夫妻の世話になるようになつたが、昭和五〇年ごろから本物件を訴外佐々木某に賃貸してその賃料月額四万五〇〇〇円を生活費に充てていたところ、百三は離婚後佐々木に対し内容証明郵便を出したり、電話をかけたりしていやがらせをしたため、同人は賃貸借契約を解除して本物件から退去し、被控訴人は収入の道をとざされた。

控訴人は、昭和五五年三月一〇日に百三に対し五〇〇万円を貸付けたとして、昭和五七年五月二四日東京法務局所属公証人橋詰利男に嘱託して債務弁済契約公正証書(本件債務名義、なお、右公正証書第一条中金銭貸借の日が昭和五〇年三月一〇日とあるのは、昭和五五年三月一〇日の誤記と認める。)を作成し、これを債務名義として昭和五七年七月一五日本物件につき本件強制競売の申立をし、そのころ被控訴人に対し本物件の敷地を賃貸してくれるよう申し込んだが、被控訴人からこれを拒絶されるや、百三と共に被控訴人方に赴き、板塀を鋸で切つたり、本物件の出入口の錠を壊したりして、被控訴人に対し「家に出入りできなくしてやる。などと脅迫的言辞を弄し、自己の関係者を勝手に本物件に居住させ、現在訴外佐藤某を入居させて本物件を占有し、被控訴人の使用収益を妨害している。

以上の事実を認めることができ、原審証人笠井百三の証言中右認定に反する部分はにわかに採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実及び弁論の全趣旨(特に、控訴人が自ら控訴しながら、当審口頭弁論期日に一回も出頭しなかつた事実)を総合すると、控訴人は、本物件が離婚に伴い百三から被控訴人に贈与されたものであり、かつ、老令となつた被控訴人の唯一の収入源となつていることを知悉しながら、たまたま本物件が未登記であつて被控訴人所有名義の登記が経由されていなかつたことを奇貨として、百三と通謀のうえ、本件強制競売申立に及んだものと認めるのが相当である。

以上の事実によれば、控訴人が被控訴人の本物件の所有権取得につき未登記による対抗要件の欠缺を主張することは、著しく信義則に反し、控訴人はいわゆる背信的悪意者に該当し、被控訴人の登記の欠缺を主張する正当な利益を有しないものと解するのが相当である。

四そうすると、控訴人は民法一七七条にいう「第三者」にあたらないから、被控訴人は登記なくして本物件の所有権取得を控訴人に対抗することができるものといわなければならず、本物件の所有権に基づき控訴人の本件強制執行の排除を求める被控訴人の本訴請求は、正当として認容すべきである。

五よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(川添萬夫 佐藤榮一 石井宏治)

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